コラム 幸せ 思考 雑記

「生きる意味」を持った方がいいの?持たない方がいいの?

投稿日:

「なんのために生きているかわからない」という疑問はいつの間にか、漠然とした生活のループの中で起こります。

勉強、勉強の毎日に「どうしてこんなに勉強しているんだろう?」

仕事、仕事の毎日に「こんなに頑張って何がしたいんだろう?」

退屈が続く毎日に「結局何がしたいんだっけ?」

何もかもうまくいかないときに「なんのために生きているかわからない」

 

極端な絶望や、極度の退屈を感じるときに思いつくんです「なんのために生きているかわからない」「生きる意味がわからない」と。

あなたはなんのために生きているかわかる必要があると思っているならぜひ、この記事をご活用ください。

 

◆そういうお前はどうなのだ?生きる意味を持っているのか?

私、そーさんは「生きる意味など持たない人間です」。(語弊があるので後述)

一歩一歩成長するとか、偉業を成し遂げようとか、そういう高尚な趣味などございません。
ただの一般人です。

一般人が「生きるだの死ぬだの」について問うています。

 

「あーはいはい、一般人のたわごとね」と流すのも一興ですが、少々待っていただきたい。

私が賢威じゃなくても構わないと話が前に進まないのもありますが、一般人のたわごとと流そうとするあなたは「成功者バイアス」がかかっており、賢威の声しか受け付けなくなっているのではないでしょうか?

私はただの一般人です。

戯言を聞いていかれませんか?

 

少なくともあなたがこれを読んでいるという事は「生きるだの死ぬだの」に思い至った事があるはずです。

そんなの賢威も一般人も関係ないじゃないですか。

人は生きて、そして死ぬだけです。

 

そして、「生きる意味を持たない私」が「なんのために生きるか」あなたに話したい。

そう思ってこの文章をつづっています。

 

◆そういえば、そーさんは熱心な「無宗教家」

幼少のころの記憶がフラッシュバックしてきました。詳しくは省きますが、私が行っていた幼稚園はキリスト教を教えているものでした。

だからといって宗教家ではありません。完全な無宗教です。

神は信じません。神は死んだ。

 

話が脱線しました。

まぁ幼稚園のころ神様について色々と思想を巡らせていたのです。

今にして思えば「生きる意味付け」を行っていたんじゃないかなと思うのです。

 

◆生きる意味付け

少し昔話をしましょう。

想像してみて下さい。

 

昔々の大昔、我々が生まれるずっとずっと前には、化学も科学も数学も国語も思想も社会も無い。なんもない。そんな訳の分からない世界に放り込まれた人間達がいたんだと思います。

彼らは不安です。

生きれるかどうか分からないだけじゃなく、何のために生きているか分からない状況です。

 

彼らは不安になると制御が効かなくなります。

ある一つの村は民の一人が飢えの恐怖から食料を持ち出し、村が壊滅しました。

社会の成形を行わなければ恐らく他の村が攻めて来て、略奪が行われる状況下で統制がとれないのは非常にマズイ。

 

そこで頭の良い人は考えました。

「生きる意味を与えよう。それを神様と呼ぼう。これで統制を取りつつ、道徳的な慣習が出来る」

神様という偶像を用意し、彼らにこれを信仰させるのは大変上手くいきました。

科学が進歩した今日でもまだ神様というシステムが利用されているところをみると、いかに人間の心理をついたよくできたシステムなのかと関心させられます。

元々は「生きる意味」を与えて不安を除去しようという考えだったのです。

 

◆じゃあ、やっぱり生きる意味を持たない方がいいの?

「生きる意味など持たなくていい。そんなものを持つから身動きがとれなくなる。」

これも昔、ふらりと寺に訪れた私がお坊さんに聞いた徳の高い話です。

 

徳が高すぎて私には理解できませんでしたが、生きる意味について考えるいい題材となりました。

私が今生きている理由は「楽しむこと」に他なりません。(快楽主義者とか言われますね)ただ、それが無くなったとき私は絶望し、死を求め始めるでしょう。

 

こうならないように「生きる意味を持たなくていい」とおっしゃっていたのでしょうが、楽しみもなく生きろと言われているようなものなので、やっぱり「なんのために生きているかわからない」となります。

生きる意味を持たなければ生きていけない人もいるという事ですね。

 

◆まとめ:では、どうすればいいのか?→生きる意味を自分で調節せよ

生きる意味を持つとか持たないとか。
どっちでもないんですよ。

0か100かの話じゃないんです。
大切なのはそのバランスです。

生きる意味を持つ部分と持たない部分を自分で設定する必要があります。

 

「人の価値観は多種多様である」

これはあなたの頭の中でも私の頭の中でも共通項ですよね?

 

つまり価値観が違う以上、『「生きる意味を持つ部分と持たない部分」は自分で調節する必要があるんですよ。』

自分にとって何が重要か?それを考えるんです。

そんなものはどこにも載っていないですが、ヒントにはたどり着けます。
あなたが迷ったり悩んだりするのはそのヒントが掴めていないからです。

時間なのか、金なのか。
友達なのか、家族なのか。
仕事なのか、プライベートなのか?

いろんなものを天秤にかけてください。

決して他人の言葉を鵜呑みにしないで、自分で決定してください。

 

わかります、誰かの言葉に縋りたくなる気持ちはわかりますが、自分で決定してください。

誰からの言葉を借りて自分の意思を決定すればそれは宗教と大差ありません。みんな安心したいだけなんです。

 

そんなわけで生きる意味は半分あるし、半分ないんです。

-コラム, 幸せ, 思考, 雑記


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

広告エリア

Sponsored Link


SNS

follow us in feedly