コラム 人間関係 幸せ 思考 時間 環境 雑記

命の価値は自分自身で決めているのだから「これ」をすれば良い

投稿日:2017年12月14日 更新日:

こんにちは、そーさんです。

先日の「座間9遺体事件」は痛ましい事件でした。

今回はこの件について考えつつ、こうした事件に巻き込まれない心構えを考えていきます。

 

◆「死にたい」という共鳴

事件が報道された時に「死にたい」という言葉が耳に残ったと思います。

被害者は「死にたい」とTwitterでつぶやき、「一緒に死のう」と持ち掛けられ犯人に接近を許しました。

死にたいという気持ちで共鳴した部分に付け込まれたのでしょう、もちろん犯人には死ぬ気などはなく「楽して生活したかった」などの発言からも観て取れます。

しかし、9人の被害者も死ぬ気はなかったことが犯人の口から語られます。

ならなぜ犯人を含む10人は「死にたい」などという事で共鳴出来たのでしょうか?

 

◆死にたくないのに死にたい

人と関わりたいのに、自分からいけず、やり方も分からず、周りはどんどんグループを作っていく。

こうした経験をした人は30人ぐらいいれば何人かいるもんです。

幸いにも両親にも恵まれ、愛されて育ってきた人ほどその兆候が強いようです(データが無いので話半分に聞いてください)

両親からはあれこれ世話を焼いてもらえて、社会に出るとその逆になってしまう。学生の頃は良かったけど、働き始めたら環境が違い過ぎてストレスに感じてしまう人も多いです。

社会的な考え方というのは社会に揉まれて学ぶものなので、そこをしっかり行っていないと社会に否定的になり、生きる活力も湧いてきません。
おっと失礼、生きたい気持ちはあるんですよ?

生きたいのに、楽しくないから死にたい。

たったこれだけの事なんですよ。

恋人に振られたとか、借金があるとか、人生を長い目で見たらしょーもない事で瞬間的に「死にたい」って思ってしまうんですよ。

恋人に振られたといっても死にませんし、異性なんてそこらに転がっています。

借金だって日本なら自己破産という制度があります。

死にはしません。

 

◆「死にたい」は自分で命を失う危険性を上げる

被害者は「死にたい」と口々に言って犯人と出会ってしまいましたが、私は被害者側の危機管理能力にも問題があったと考えます。

確かに犯人は頭のおかしい凶行に及びましたが、「一緒に死のう」なんて言ってくる人と会おうだなんてそれこそ狂行です。

信頼のおける人間だなんて思い込む方がどうかしていると思うのです。

それほどまでに日常が面白くなく「死にたい」と死にたくないけど口走れる精神状態になっていたのでしょう。

自暴自棄になれば危機管理能力が低下してしまうものですから、連鎖的に犯人の罠に取り込まれてしまったのでしょう。

「死にたい」という事は、自暴自棄に結びつき危機管理能力を下げ、結果命の失う可能性を上げてしまうのです。

 

◆楽しく過ごす努力をしていれば犯人に出会わなかった

対策としてはこれでしょうね。

「楽しむ事」

どんなに辛い時でも笑ってろとは言いませんが、少なくともまともに働けば最低限の生活できる環境は地球上に少ないです。

つまり、人類で言えば上位数%しかいない勝ち組なわけですよ。

それなのに周りの情報に踊らされ自分の足で踏み出せず、死にたいだのなんだのとつぶやき、犯人の手に落ちてしまいました。

まったく思い返すだけで嘆かわしい事件です。書いててイライラします。

いいですか、人生楽しんだもの勝ちです。

自分が楽しいと思えることを忘れないでください。

誰から何を言われようと自分の感覚を信じてください。

 

◆まとめ

「座間9遺体事件」は陰惨たる事件でしたが、犯人の訳の分からない言い分はさておき、被害者側の視点にたってお話しました。

もし「死にたい」と言っているうら若き少年がいたらどうか気を付けて欲しい。

知らんうちに蝕まれるぞ、それ。

-コラム, 人間関係, 幸せ, 思考, 時間, 環境, 雑記


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

広告エリア

Sponsored Link


SNS

follow us in feedly