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「意識低い系の人」になると自分を取り戻せる?そーさんの思考

投稿日:2017年11月19日 更新日:

こんにちは、そーさんです。

今回はフリートークです。(いつもです。

お題は「意識低い系」

 

◆世の中意識髙過ぎじゃない?

「ご立派ですね」

私はなんどこのセリフを吐いてきたか分からない。

出会う人間一人一人に凄まじい肩書・経歴を持つようなエリートばかりだった。

東京でもなければ都会でも無いような場所にいた彼らに対して「なぜこんなところに……」という感情が払拭出来ずにいた。

気を張らなければ喉元からこの嗚咽にも似た質問が飛び出してきそうだった。

 

彼らエリートはよく動きます、よく働きます、機転も利きます、品行方正、清廉潔白、勇猛果敢、連戦連勝です。

同じ人間とは思えないほどのスペック差を感じます。

 

そんな自分とエリートとの隔たりに気付き意気消沈を決め込んでいる私に飛び込んできたのは、コンビニの店員でした。

ご存知の通り、学生でもアルバイトが出来る職ですが、各段能力が高くないとはいえ「レジ打ち」「接客」「品出し」「その他もろもろ」を……。

 

待て待て待て待て!

それってメチャクチャ大変なんじゃないのか!?

誰でも出来る職業のレベルが高すぎるんじゃないか?

そう思ってしまった。

 

昔は「穴を掘る」とか単純作業こそが仕事だった。

昔と比べて肉体労働は減ったけど、精神的苦痛はそこまで減ってない。

どうしょうもない客もくれば、暴言が飛ぶこともある。

ちっとも「誰でも出来るアルバイト」ではない。

ちょっと気の弱い人なら吹いて飛ばされる。

少なくともコンビニ店員が「楽な仕事である」などとは聞いたことはない。

誰でも出来る代替え可能なアルバイトでさえこの調子だ。よっぽど世間一般の求めている水準が高いと見える。

 

「はぁ……」とため息をついて、おにぎりを二個とお茶を買った。

 

「という事は、まさか……。」

振り返って街々に点在する店々が目に飛び込んだ。

ファミレスやガソリンスタンド、牛丼屋、その他多数の店。

「意識高過ぎじゃないですかね?」そう言わざるを得ない。

 

◆サラリーマンも意識が高い、というか意識が低い人がいない?

アルバイトのみならずサラリーマンも意識は高い。

「仕事を全う」するというその姿勢は素晴らしいが、その悪の側面として「過労死」なんて言葉が世界中で轟いてしまった。(海外に労働中に過労で死ぬなんて意味の言葉は無い)

 

私は公園のベンチに座りながら、先ほど買ったおにぎりを食べながら、公園の対極にいたサラリーマンを見ていた。

そこに誰もいないのに頭を下げて電話をしている。

あのサラリーマンもすっかり日本社会に染まっている。

良いことか悪いことかは置いといて、「意識が高いな」と素直に思った。

ぐるりと公園を見渡すと、やっぱりスーツ姿のサラリーマンと思わしき人がちらほらいる。

 

ああ、これだけの意識高い人がいて社会が成り立っているんだな。

会社のサービス、商品の品質は彼らがなんとかしているんだな。

そう思った。

 

そう思ったときに違和感があった。

 

「あれ、意識低い人がいない……」

 

◆「意識の低い人」の水準が上がっている

「そんなことだれでも出来るよ」コンビニ店員を揶揄するようにエリートは言う。

彼は学生時代にコンビニでアルバイトをしたことがあったようだった。

「やることはそりゃあるけど、難しいってわけじゃない」そう続けた。

 

難しいなんて個人の尺度で、私が出来たから他の人も出来るだなんて保証はない。

どうしても出来ない人もいる。

私は以前まで「人と話す」ことは簡単だと思ってきたが、実際に人と話す事すら出来ない人に出会ってこの考えを改めた。(とは言っても仕事はピカイチだった)

どんな物事にもそれを簡単にこなせない人はいる。

 

「このぐらいは誰でも出来る」という言葉は私自身ついうっかり使ってしまうこともあるけど、実際の所そうじゃない。

出来ない人は出来ない、出来る人は出来る。

ただ、世間一般とやらの認識で大多数の人が出来ていれば「簡単」でそうでなければ「難しい」のだ。

 

例えば私のように「サイトを立ち上げて、情報を発信するというスキル」はどうだろうか?

皆がみんな自分のサイトを持っているわけではないから、待ちゆく人に聞けば恐らく「そんなこと出来ない」人の方が多いだろう。

だから私が「このぐらいは誰でも出来る」と思っていても、そんなことは大多数の人には関係ないわけで、そんな主張理不尽だと思うわけです。

 

「コンビニエンスストアのアルバイトは誰でも出来る簡単な仕事である」が大多数の認識になってしまって、なぜその難易度で簡単なのか?という疑問が吹き飛んでしまっています。

賃金であったり、コンビニエンスストアの店舗数であったり、「大多数が簡単」と雰囲気で判断しているように思えます。

私はこのような現象を「意識の低い人の水準が上がっている」と認識しています。

 

◆「意識の低い人」と自分

じっとり嫌な汗をかいていた。

もしかして私は「私自身ものすごく意識が低いんじゃないか?」と思った。

私が言おうとしているのは自分が無能であるという証明にしかならんのじゃないか。

そんなことを思いながら、更なる背汗を感じた。

きっと私と同じような考えの人間もいるはず。また今は違う考えだとしてもこの考えに共感してくれる人もいると思う。

そんな希望や期待をしてしまっているぐらいには「自分の意識の低さを危険視している」私がいた。

 

そりゃあ、大衆に紛れた方が安心感もある。なんでも意見は同調した方が世間との齟齬がなくて楽だ。

「コンビニ店員を誰でも出来る仕事だ」

今まさに私はそんな大衆心理に流されようとしている。

 

◆真の「意識の低い人」

しかしながら、私は鉄の意志で踏みとどまった。

「楽な仕事など存在しない」

これは私が過去に学んだことだ。

何も知らず社会に放り出されてもがいてあがいて得た知見だ。

間違いなく誰にでも出来る職など存在しない。

 

コンビニでバイトをしたい学生が居たらこう言うだろう。

「出来なくはないかも知れないが、簡単とは思わない。比較的簡単だと思われている職だよ。」

これが私が提唱する真の意識の低さだ。

自分も意識が高くないから他人にも同条件を求めない、許し合うことが出来る考え方だ。

 

「意識の高さ」ゆえに死ぬまで働くか、死ぬまで働かせ続けるかという狂気の沙汰をやっぱり許すわけにはいかない。

多くの人は「会社に就くものだ」と考えがちだが、一度きりしかない人生を働く時間で埋め尽くすのはなにか決定的に違う。

この競争社会を瓦解させたい思いもありつつ、「意識の低い人であれ」という言葉を残そう。

 

◆意識の低い人であれ

意識の低い人は「やる気がない」わけではない。

働いているし、生活しようとしている。でも定職に就けなかったり、年相応の貯金もままならない人々がいる。

それは往々にして「大衆の意見」という呪縛にかかっている。

年相応の貯金などは存在しないし、何千何万の働き方や生き方があるのだから、多少の優劣はあるだろうが「こう生きないのはバカ」と一蹴するのはあまりにも早計だ。

貯金や年収が平均以下だからダメだとか、そう決めるのは世間であり、世間の意見を飲み込んだ自分です。

 

世間と自分の切り分けが必要なのに、今は「誰とも会わないのに」世間の情報が流れ込んできます。

何度も何度も、一般と「同化せよ」と暗示がたれ流れているのです。

 

もう一度私の述べましょう。

「意識の低い人であれ」

それは自分を取り戻す手段の一つになるから。

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