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地頭が良いとはなんだ?形式主義の教育への抵抗

投稿日:2017年10月26日 更新日:

こんにちは、そーさんです。

正直こういう話題は頭が痛い。

 

「地頭が良い」という言葉がありますけど、「頭が良い」とは何が違うんでしょう?

 

勉強が出来るだけでなく、コミュニケーションや備わった思考力など、「元からの頭の良さを表す言葉」です。

 

今回はこの言葉を掘り起こし、日本の教育について好き勝手喋ります。

 

◆地頭が良いとはなんだ?

地頭の良い人間というのは年齢は関係ありません。

物心ついた頃から、まあ年長ぐらいですかね。

そのぐらいには地頭の良し悪しがわかるようになります。

 

うらやましいもので、「一を聞いたら十を知る」「取り掛かった問題の理解力の高さ」なんかは特にうらやましい。

うらやましい、妬ましい。

 

◆「学力≠地頭」だ!一緒にしないこと!

話し方だったり、行動が普通の子よりも論理的であったり、時には大人も時間がかかるような知育パズルをあっさり解いてしまったり、と賢さを感じる場面に出くわしたことあります。

 

この子は他の子とは違う。

そういう感覚を感じるものです。

 

地頭が良い人間が、成長につれて地頭が悪くなるような事にはなりませんので、そのまま成長して努力次第で学力が変化します。

 

頭が良いが応用が効かず、地頭が悪い人。

頭は悪いが地頭が良いとか人、そういう不思議な人間になります。

 

ここで言いたいのは一言。

「学力≠地頭」である。

 

◆「地頭が良い」と「偏見の目」

地頭が良い子というのは先ほども言いましたが、他の子と少し違っています。

 

話し方が大人びていたり、論理的思考、学習能力、IQの高さ、字が極端に汚いとか、色々あるようです。

一概に言えないのですが、普通の人からすればちょっと変人に映るでしょう。

ですが日本人は「変」であることを嫌います。

 

地頭が良い子どもたちは「変」であるというレッテルを張られて、上手く能力を発揮できていない世の中であると思うのです。

 

これはIQの話ですが、IQが20だか10だか違うと話がかみ合わないのだそうです。(本当かどうかも知りませんがね)

地頭が良すぎるから、過程をすっ飛ばして会話してしまって、ちぐはぐみたいな話でしょうか。

 

そうした「ちぐはぐな会話」を見ていたら「変」に感じるはずです。

そして、「大多数が理解できる方が優秀」と形式的に決めて、地頭の良い子にこう言います。

「もっと頑張りましょう」

 

これが地頭の良い子への日本の仕打ちです。

理解したいけど、理解できないものは評価のしようがない、と「評価が全て」でその評価も形式に当てはまることが出来るか?で判断しているために悲しいことが起こっています。

 

◆どうやったら解決できるの?

正味、この社会に変われという方が酷なのは承知しています。

この民主主義の皮を被った社会主義国家日本において、制度を捻じ曲げるのがどれだけ大変か分かったもんじゃありません。

 

そこでね。

 

地頭の良い子の周りにいる人が彼らの才能を認めてやり、居場所を提供する事が大事なのだと思うのです。

「あなたは人より少し優れているだけなんだ、だから同じ目線で話せないんだよ」と諭してあげて、勇気づけを行うべきです。

彼らがその才覚を伸び伸びと開花させた方が「発展」という視点から立てば合理的です。

 

◆まとめ

なんでこんな話をしようと思ったかと言えば、「グッド・ウィル・ハンティング」という映画を見たからですね。

高尚気取りです。

 

でもさ、世界を見渡せば「才能があれど環境が整わなかったために開かなかった才能」が山ほどあるんだよな、と思ったら指が勝手にさ……。

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