コラム 自己啓発

人に何か求めることと期待することをやめた話

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私は自身の自信のなさから疑心暗鬼に駆られ、あらぬ疑いを他人に吹っかけていたことがあります。

「若さゆえの過ち」なんて便利な言葉で流すつもりはありません。

人を疑うことをやめられた、と言えば聞こえはいいでしょうが期待しなくなったとも言えますね。

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ネトゲ(RO)をやったら怒ることが出来なくなった話

 

 

今回は毒にも薬にもならない自分の教訓を書き殴っておこうと思います。

 

人に何か求めるという事が無駄である

前提として人は利己的な生き物で「何も学ばなければ自分のために生きようとする」。

例を挙げれば、治安の悪い地域では学の無さと犯罪率の高さは正比例するようなもの。

 

あなたの周りに自己中心的な人はいるだろうか?もしくはいただろうか?そういう人間に年齢は関係ない、いくつになっても精神的に幼い人は幼い。

何か痛い目に合うか、反省をすることによって自己と社会の温度差を感じなければならない。

自身でその温度差を感じることが出来なければ「アダルトチルドレン」などと呼ばれるだろう。

 

私が言いたいのは「必ず同調しろ」ということではない、「他人の事を思考出来ない人間になるな」と言いたいのである。
アダルトチルドレンはいわば駄々っ子だ。駄々っ子は他人がどう考えているか思考できない。そうした人間は社会から、家族から、友達から、やがて煙たがられる。いい歳した大人が他人との差を認めず、不平不満を語り、決断も出来ないというのは孤立するのに十分な条件だと言う事だ。

私はこの事を随分若く知れたことで「考え方が大人っぽい」と当時よく言われていた。(思いっきり痛い目にあったからである、それまでは私はとびっきりの駄々っ子だった)そんな私が彼らに「変わってほしい」と願うのは至極当然だった。
理由をいくつか述べて「そういう考えは子どもっぽいよ」と促しても、まぁ変わらない。「分かっているけど、違うんだ」と返される。
それは正論だと分かっているけど、直したくない(直すメリットを感じない)ことに他ならない。

思い出して頂きたい、人は利己的な生き物だ。
ここでは私の「変わってほしい」という利己と「変わりたくない」という利己がぶつかり、何にも話が進展しなかったのだ。

これは私が悪い。
何故なら、学んでいたはずだ「他人の事を思考出来ない人間になるな」という知見を失念して他人に変われと強要したのだから、これはもう完全に私が悪い。

どんなに「そうなった方がいい」という理想があっても、他人にそれを強要しても実現することはない。
人を変えたければ、彼らに変わるメリットを与えるか、自分から変わってもらうように仕向けるしかない。

頑なに変わりたくない人に言ってもお互いの時間の無駄だろうから割愛するが、実際に「変わりたい」とこぼしている人に対してアドバイスしたことがあるが変われなかった。
変われないメカニズムがあるとその時に学んだ。

 

「常日頃変わりたいと思っている人」ほど変われない

矛盾するようだが「常日頃変わりたいと思っている人」ほど変われないのは事実だ。

変わりたいと思っている人は「変われていない」という事実がある。この事実により「行動力が無い」ことが浮き彫りとなる。
変わりたいと思っている人は「こう変わりたい」という具体性がない、例を挙げるなら「金持ちになりたい」とかビジョンが乏しいことを言う。

具体性もなくて、行動力もなければ変われるわけはない。
だが変わらず「変わりたい」と言っている。

滑稽に思う。

何を自分に期待しているのかさっぱり分からない。

 

そういう人たちが行きつく先も知っている。
「成功者の言葉」だ。
彼らは自己啓発本が好きだ。

「もしかしたらこの本を読んだら変われるかもしれない」

そう心のどこかで期待して本に手を伸ばす。だが、彼らが「成功の法則」を読んで生活水準が上がるのであれば苦労はしないのである。
彼らは精神的な安定を求めているだけで、リスクのある行為が嫌いだ。しかし彼らが大好きな成功者達は皆リスクを払って社会を渡っている。ここに乖離がある。

私は自己啓発本の存在は大いに賛成だ。成功者の言葉をまとめているだけで価値がある。
問題はいつも読者の方にあって「変わりたい」だけの読者のために自己啓発本が用意されている。
「いつまでも変われない」から自己啓発本がよく売れる。全くよくできたビジネスだ。

少なくとも外部の要因だけで変わることはない。
「誰かに説得された」「自己啓発本を読んだ」「セミナーにいった」では変わらない。

人が変わるときは、必ず「自発的な行動」とともにある。
気付き、反省、行動。
単純なプロセスだが、大抵の人間には出来ない。心理的障壁が大きいのかもしれない。

 

人に変わってくれることを期待はしない

言っても聞かない、自分で手を出した本でも変わらない、であるならば人に「変わってくれる」と期待しないほうがいい。
全くもって無駄だ。

あなたの家族、親友、恋人。近ければ近いほど期待しないほうがいい。親しい間柄という事は居心地の良いパートナーだ、「居心地」を求めているのに「変わること」を求められれば、「居心地の良さ」はなくなる。息苦しくなるだろう。

例えば「勉強しなさい、将来のためになるんだから!」とお母さんに言われた人は分かるだろう。
「え、めんどくさいからやだ」「言われたらやる気がなくなった」と返すのが大半だ。
変わらない(変わりたくない)人間に何を言っても無駄だ。

いつか変わってくれる、分かってくれるなどと思っているならすぐに思いを改めてほしい。
成功者が言ったもっともらしい口上でも変わることもないし、あなたが述べた普遍的な言葉で変わることはない。

そしてあなたは憤る。
「正論を言っているのにどうしてわかってくれないのか!」
お怒りなのは分かる、かつて私もそうだった。でも分かってほしい、話せば分かるなんて言って殺された人もいる。
話しても分からないこともあるんだ。

どんなに混じりっ気のない真実を言ったところで彼らは言い訳を用意している。先ほどの勉強の例を見れば想像に難くないだろう。
自分本位の言い訳の千本ノックだ。楽できるなら楽をするのが人間、そのぐらい意志の弱い生き物に期待する方が間違っている。

 

変わってくれるための条件

このサイトは悩みを解消し「変わってくれる」ことを願って作られている。よって「人は変わらない」という結果でこのコラムを終えてはならないのだ。

必ず変える方法はあるのだが、一筋縄ではいかないと理解してほしい。

 

彼らを変える一番手っ取り早い方法を考えた。
「環境を変える」ことだ。
極端な話、勉強しなければ死ぬ状況に追い込めば、人は率先して勉強するだろう。環境に甘えて「勉強しないでも生きられる」から勉強しないのであって、命がかかっていれば別である。
少々極端な例だったが、環境が変われば人も変わる事は分かっただろう。

環境が変わらなければ、本人が変わる事だ。
身も蓋もないようだが、こればっかりは外部の要因じゃない。

勉強をするように変わる原因が何であるか?がカギとなる。

例えば「世界では勉強出来ない人もいっぱいいる」→「自分が贅沢にも勉強しないのは忍びない」→「勉強をする」
例えば「有名な大学に行きたい」→「偏差値が足りない」→「勉強する」
例えば「好きな子がいる」→「”頭が良い人が好き”と言っていた」→「勉強する」

考えれば無数にきっかけが存在するが、どれもこれも利己的なモチベーションがある。

人が変わるためには以上の二点が必要だ。

 

まとめ

人間は利己的だ。

あなたの言葉で人間は変われない。

親しい人間ほど変われない。

変われる人間は勝手に変わる。

 

人間が変わるためには行動を起こす必要がある。

行動を起こすためには以下の二点のどちらかが必要。

・環境が変わること

・本人が自発的に変わること

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