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「人に迷惑をかけない生き方」と「支えあいの生き方」の共存は不可能

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人という字は……。

金八先生がそんな事を言っていましたけど、私にはもっと重要にしていた事がありました。

「人様に迷惑をかけないこと」私が親からよく言われた言葉です。

刷り込まれたものは立派なもので、鉄の掟として私の中で生きています。

「人は支えあって生きている」のは自明ですが、これに加えて「迷惑をかけるな」って超難易度じゃないですかね?

 

私の半生を交えつつ、今回はそんなお話。

 

「人に迷惑をかけない生き方」と「支えあいの生き方」の共存は不可能という話

私は「人様に迷惑をかけないこと」を優先して生きてきました。

理由は精神的に楽だからです。

 

人と関わらないように、助けてもらわないように、問題を起こさないようにすることはめちゃくちゃ簡単でした。イージー過ぎました。

そうして出来上がった私は優等生気取りの鼻につく野郎でした。

今では反吐が出る過去です。

 

私は幼稚園のころに聖書に出会いました

 

私は幼少の頃、キリスト教を重んじる幼稚園に入っていました。

人を愛すること、すべての事象に感謝すること。

この場、この時を作り出した神へ祈りを捧げること。

そんなことをやっていました。

 

まぁ子供の時の宗教は良く分からないもので、

「難しめの幼稚園ルール」ぐらいにしか感じていませんでした。

ああ、もちろんミサもありましたよ。

こんなにキリスト教信者だったらたまらない環境だったに違いありませんが、面白いもので両親は神を一切信用しない人たちでした(笑)

なんなんだよっ!

 

葬式は仏教式、幼少期にして宗教ヘレニズム化

それから、葬式は仏教でした。

日本ではオーソドックスな念仏唱えて火葬するやつです。

仏壇もありました。

私は幼少期のころからヘレニズム文化を味わうこととなったのです。

 

小学校に上がるころには全く宗教とは関係ない生活でした。

ミサはありませんし、誰の葬式もありませんでした。

ただ、行儀の良さだったら他の子ども達より抜きんでていた自信がありましたね。

クソの役にも立ちませんでしたがね。

 

おかげでストレスのたまる子ども時代でした。

他人に迷惑をかけてはいけないという制約を守り続けたのです。

 

中学時代に第一次起爆

そして中学時代に小爆発します。

第一の反抗期は「勉強をしなくなりました」

トップクラスだった成績は地の底に落ち、だらだらとします。

第二の反抗期は「やれと言われたことをしなくなりました」いままで従順だったのにね。

 

そんな事を数年続けて、ぴたりと止みます。

人に迷惑をかけずに生きる事は不可能に思われたのですが、これまた簡単に元の鞘に収まったのです。

人間って不思議です。

 

一回暴れたあと世の中を見渡すと、

いろんな人に迷惑かけたなーっと思いと、いろんな人に支えてもらってたんだなって感じたのです。

 

支えてもらうのと迷惑をかけないって表裏一体で、両方の条件を満たすことは不可能だなって思ったのです。

両方体験した私から言えば、支えてもらう方がはるかに難しく面白いです

 

どんどん動いたほうが面白いよ。

 

『人に迷惑をかけて生きる方がはるかに面白い』

語弊を承知で言わせてもらうと、他人に迷惑かけずコソコソ生きるのは全くもって面白くなかったのです。

自分の言いたいことも言わず、言われたことだけをこなして生きる事はもう小学生の時に終わりました。

 

自発的にあれがしたいこれがしたいと決めて、決めたら「散歩で大はしゃぎする犬のように尻尾ふって」やりたいことをやっていくのが私のスタイルでした。

当然のように私のわがままをしょうがないと聞いてくれる人たちもいましたが、代わりに私も彼らのわがままには寛容です。

好きなことを言え、好きなようにやる。

中坊にして、ギャングスタ。

社会人になるまではそんな調子でした。

 

社会人になるまでは。

 

社会人生活で生き方が二度逆転する

社会に出てからまた「人に迷惑をかけないように」立ち回った

会社は仕事で価値を作り、対価としてお給料を貰える場所でした。

私はとにかく従順に動こうと先輩の話を漏らさず聞いていました。

しかし、やってみるとミスが目立つのです。

流石に中学、高校、大学と従順であることをサボった人間はまともに人の言ったことを実行できなかったのです。

 

また私は出来るだけ迷惑をかけないスタイルに戻っていくことになります。

社会人になって一年が経って一通りの事が出来るようになりました。

相変わらず、先輩のいう事、上司のいう事が絶対かのように業務にあたりました。

大きなミスはなくなりましたが、全くもって不毛な時間だったと思います。

 

目新しいこともなく、挑戦もなく、新たな学習もない。

私は何も考えず、言われたことだけをやる人間にまで成り下がっていたのです。

そりゃ役に立つわけがない。

 

そこから私は再々、人に迷惑をかけだすことになるのです。

 

先輩から強引に仕事を奪うことで生産性を向上させる

私の特技は人から話を引きずり出す事です。

先輩や上司から仕事の状況を聞く事にしました。

全体の状況を把握できれば、何を成すべきか分かると踏んだのです。

 

結果は予想的中。

先輩や上司は「仕事で溢れていました」だけど、私には預けられないと躊躇していたのです。(既に迷惑かかっているやんけ!)

そこで私は言いました。

「その仕事を下さい」

先輩と上司は悩んだ挙句、私にその仕事をふりました。案の定出来なかったんですけどね。

「だから言っただろうが!」

と怒られましたが

「教えてください!」

と食い下がり、その時の残業時間は深夜にまで及びました。

結局先輩も上司も最後には観念して「任せた」と言ってくれました。

まぁ強引に仕事を奪い取った訳です。

 

後日、同様の案件があったときに私が担当しました。

その時はスムーズに事が運び、残業せずに帰ることが出来ました。

チームの全体の生産性がめちゃくちゃ上がったという事です。

 

まとめ

 

これは私が上司から無理やり仕事を奪わなければ起こりえなかった革命なのです。

迷惑をかけてしまうという選択は必ずしも悪い結果にはなりません。

行動こそ価値があるのです。行動には迷惑がついて回るのです。

 

それから私は進んで迷惑をかけさせてもらうことにしております。

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