コラム 思考 雑記

あなたが努力をできないたった1つの理由は「ミロのヴィーナス」だ

投稿日:

 

いきなり結論から語ってもいいのですが、おそらくそれでは意味がないのです。

また、あなたは「努力しない日常」に戻るでしょうから。

 

少し、長めにお時間ありますか?

それなら私の自己紹介からさせてください。

 

そーさんは不完全が好きな男

 

お悩みコンテンツを保有するサイトの管理人がこんなことを言うのはどうかと思いますが、

私、そーさんは負の感情・現象から生きるためのエネルギーを生成できるひねくれた男です。

不完全が大好きなのです。愛しています。

 

日常的に起こる不条理に対しても「クソがッ!冗談じゃないッ!」と悪態づくも、「どう解決してやろうかな、うけけけ」と笑っています。

そういう男なのです。

その不条理を解決した時には、「あっはっは、修復してやったぞ!バカめ!」っと承認欲求が満たされている訳です。

逆に言えば私は「完成した何か」には興味があまりないのです。

解決した問題・物事が今後どうなろうと知ったことではないのです。

 

「勝手に成功してろ」とでも言うでしょう。

 

不完全なものを見ていると「どうやったら修復出来るのか?何が足りていない?」と考えているとき頭が回っている感覚を覚えます。

こんなにひねてしまったのも、「以下の考え」が今も私を支配しているからです。

 

ミロのヴィーナスの完成形とは?

ミロのヴィーナス

 

「ミロのヴィーナス」をご存知でしょうか?

ご覧の通り、腕が欠けている石像です。素晴らしい美術品です。

この石像に足りていないものは「腕」です。

 

この腕が取られた経緯について多くの文献を読みました。

「実はリンゴをもっていた」とか「ポーズをとっていた」とか結局は憶測の域を出ませんでした。結局は謎なのですね。

 

世の中の物事は「ミロのヴィーナス」と何ら変わりありません。

憶測で話し合われ、無い「腕」の存在について問う。

どれだけ憶測を重ねても結局「腕」はありませんし、「ミロのヴィーナス」は変わらず、腕の無いままです。

 

「ミロのヴィーナス」に限らず、偉大な芸術家が作り出した美術品を復元する方法は様々な研究が行われています。

「ミロのヴィーナス」を復元する方法はその腕がどうなっていたか?という事を知らねばならないのです。

 

『完璧な「ミロのヴィーナス」には腕がついているはず』

これは憶測です。

 

完成形の情報が紛失しているので、完成形を目指すのは困難です

「腕が欠けていることこそが完成品」の条件だという人もいました。

 

完成したミロのヴィーナスがどんな状態かは私にはわかりません。

ですが、この『分からない状態こそミロのヴィーナスの魅力』だと思うのです。

あなたはここまでの話を聞いて「完成した石像」を見たいと思いましたか?

私は見たい。どんな腕だったのか知りたい。

純真な好奇心です。

 

悩みの解決は本人の情報無くして起こり得ない

 

これまでの経験から、「悩みの解決の情報は当人しか持っていない」ということが分かっています。

これまでの経験から、「人は言葉だけでは変わらない」ことも知っています。

人が変わるときは「言葉を聞き、解決策の妥当性に納得し、行動した時」だけです。

これまでの経験から「思い立った行動は長続きしない」ことも知っています。

大抵の場合、納得した解決策が間違っているからです。

 

あなたが悩みを解決できない理由

 

具体的に解決策が間違っている例を挙げましょう。

 

例えば今まで読書なんてしてこなかった人が「よし、知識をつけるために月1冊読書するぞ!」と意気込んでも「本当はめんどくさい」というものぐさがあるおかげで達成が出来ません。

一か月目で一冊読んで終わりかもしれません。

良きことのための向上心は素晴らしいです。

ですが、その努力を続けることが出来ない人間がいます。

 

自分は飽き性である。疲れてしまっている。晴れてるので外に行く、雨が降っているのでなど、適当な理由をつければ読書をやめることが出来ます。

やめるのってとても簡単です。

 

「月1冊の読書は出来ないが、漫画なら月10冊は可能だ」

 

そんなことを言っていた人がいました。

漫画の文章は一冊「25,000文字」ぐらいが平均です。(ジャンプ系で計測、私調べ)

読書での文庫本は「100,000文字」ぐらいです。

この計算で行くと、漫画を10冊読んだ場合は月の文字数は「250,000文字」

 

文字数だけでいえば読書の分量を上回る事は十分に可能です。

なぜ文章量が多いにも関わらず、漫画だと読めて、文庫本は読めないのでしょうか?

 

この違いが一体何にあるのでしょうか?

違いは好奇心にあります。

 

好奇心を持たないものは面白くない人生を過ごす

 

「猫に九生あり」と言われるように猫はしぶとく生きます。

「好奇心は猫をも殺す」とは、そんな猫も好奇心をもったばっかりに死んでしまうという教えです。

ですが、「好奇心を持たずに生きた猫」になんの価値がありますでしょうか?

 

探求しない、冒険しない、寝てるだけ、餌をもらうだけ……。

 

「楽で良さそうだなぁ」と思いますか?

「でも暇そう」と思いますか?

 

どう思うかはあなたの生活の裏返しです。

「楽そう」と思ったなら、あなたは今「辛い」。

「暇そう」と思ったらなら、「暇じゃない」または「暇をどう使っていいか分からない」かもしれませんね。

 

好奇心の無い人生は大きく失敗しません。道も比較的安全です。

ただそんな人生面白くないですよ。

 

「好奇心」は人を生かす

 

努力してますか?

あなたがこの記事にいるという事は「努力が捗ってない」ととってもよろしいでしょうか?

 

『自分は嫌なことから逃げ続けていました。努力とは無縁です』とか

『努力することって辛いことも我慢するって事ですよね!』とか

 

そういう人は「努力という意味を勘違いしてしまっている」と言いたいわけです。

あなたがこれから努力をしようと思っているなら「楽しいこと」「納得出来ること」を掛け合わせたものに対して努力してください。

 

子供の頃、遊んだ記憶があると思います。

純真で無邪気にただ楽しむことだけを追求したあの感覚です。

 

それは好奇心です。

 

楽しいから追求して、楽しいからやり続けた。

これと努力の差ってなんでしょう?

差はないです。

 

努力という言葉のイメージが「辛いことを積み重ねる」イメージがあり、大抵の人がそんな事が出来ないと逃げ出すのです。(血のにじむような努力、とか言いますしね)

すなわち普通の事です。

あなたが、努力に対するイメージを払拭出来ていないのに「好きでもないこと」をつづけることは出来ません、絶対に。

 

無理やり努力なんて言葉を使わなくてもいいです。

目的を持ち、楽しいことを追求する。

これこそが努力の本質なのです。

 

私には才能がないから……

努力という単語を使うと二の次に出るのが「才能」という字面です。

 

「才能」なんて言葉本当に大嫌いです。怖気が走るわ!

 

『「才能」で成功しました!って成功者が一度でも言いましたかね?』

才能という言葉が使えるのは凡人だけです。

 

付け加えて言うなら努力を放棄した思考停止です。

「自分にはなかった才能であの人は成功したんだな……うらやましいな……」

と、才能の有無で自分の能力が諦める事が出来る凡人の心を救済する言葉なのです。

 

発展性も何もあったものではありません。

自分に諦める事を覚えさせる魔のワードです。

私は成功者の金言よりもこうした魔のワードに警鐘を鳴らしています。

 

カーンカーンカーン!聞けえ!聞けえ!いいから危険な言葉を聞くんじゃない!

いいか!よく聞け!「危険な言葉を聞くなんじゃない」!いいな!何を言っているか分からなくても頷いておけ!いいな!

 

 

こんなことをいっていますが「才能は存在します」

 

おいおい、話が違うぞと思われるかもしれませんが、才能は実在します。

実在する。

いいか、才能は実在する。

 

誰から言われたわけではないのに、ほいほいと正解へのルートを構築出来てしまう人がいるのです。

努力出来る人に加えて、正しく努力出来る人といえるでしょう。

自己管理、メンタルコントロールに長けており、一時の感情で信念を曲げない。

そういった人には信頼が集まります。

ヒト、カネ、モノ全てがその人を周りを巡ります。

まさに超人です。

 

やっぱり才能じゃないか!と言っている人はそれでもかまいません。

自分に才能がないと決めて、生きる事を良しとするならば何も文句もありません。(そこらへんは自由ですしね)

こんな世の中ですので「夢を持って生きろ」とかそんな事を言いたいためにサイトを作っている訳じゃありません。

 

「したいことをしろ。楽しんで出来ることを。それで死んでもいいやと思えることをしろ。そうした時に好奇心はあんたを生かすよ。きっと。」

「ただね」

「才能だのセンスが無いという言葉に逃げるのはやめろ。

本気で言っていると思うと怖気が走るわ!

あんたが何をしたっていうんだ?

何かやってみて失敗したのか?それだけか?

あんたまだ生きてるじゃないか。

それなら次の遊びに向かおう。

私が伝えられるのはそんな所だ

 

 

才能や運がない人間に出来ることはない、という言い訳

 

才能や運が無いならどうやってこのサイトにたどり着いたんだ?

 

才能なんて言葉が無い国もあるんです。

どうやってここに来た?

文字が分かるのか?

いいか、「世界の識字率はメチャクチャ低い」

 

まだ7億人が読み書きが出来ないでいる。

母国でだぞ?

 

そんな中でニッチな日本語とかいう言語で検索だかなんだかして辿り着いたのがこのサイトな訳だ。

 

凄い才能だな、おい。

 

偶然にも識字率が高い日本に生まれることが出来てラッキーだったな。

「毒」と「薬」の違いを文字として認識できてラッキーだったな。

今までいろんな人と出会ってきて生き残っていてラッキーだったな。

世の中にはいろんな病気があるが生き残ってラッキーだったな。

 

『生きることが出来ている。』

 

「生きることが出来る」ってとんでもねえスキルと才能と運とお金が必要なんですよ。

そしてその環境は当然当たり前じゃない。

当たり前じゃないことをみんなすまし顔でやってのけているんだ。

すごいことじゃないか?

 

もし気づいていなかったとしたら、そうした環境に居れたことを感謝が必要なんだ。

自分の凄さを認めること、それでいて現実も忘れないこと、それが感謝って二文字に凝縮されているんだ。

 

「動く」ために障害になる悩みがあるなら粉砕しろ

 

興味は結局「行動」になる。興味の障害になるような悩みは粉砕すべし。

 

興味を持たなければ、行動を起こさなければ、あなたの「ミロのヴィーナス」は完成しません。

 

最終的に完成度を納得するのはあなたでしかないのです。

 

「こうしなければならない」なんて意見に耳を貸すことの方が愚かです。

「会社がそうしているから……」「皆がそうしているから……」

しかし、そうした好奇心を制限する生き方はつまらない。

 

ならば、「自分のやりたいようにやる」その結果として生きている、ってとっても幸せだと思うのです。
(Youtuberになれなんて言ってませんからね!)

 

社会にもまれて、「当たり前」と「常識」があなたの思考を塗りつぶしています。

「やりたいから、知りたいから、納得したいから」

それだけの動機で十分です。

動いてください。

 

具体的に指示が出されないと出来ないことは既に「やりたいこと」ではありません。

やりたいと思った事に「嫌悪感」が混じったのであればそれは「やりたいこと」ではありません。

純真で無垢に無邪気に「やりたいからやる」これこそが私が伝えたい事です。

 

まとめ「ミロのヴィーナスの腕」

 

わたしたちの周りには不完全がありふれています。

「不完全である悩み」は最も古くから存在するコンテンツです。

そして「悩んでいる人」は不完全を感じています。

 

では、その不完全を解決する手段はなんでしょうか?

私はこれを「ミロのヴィーナスの腕」だと考えています。

完成形の情報が紛失しているのですが、憶測で語ることが出来ます。

 

そこには純粋に好奇心があります。

 

好奇心は「行動」になります。

「行動」はこうしてどこかの誰かに文字を読んでもらうという形で還元しています。

 

悩んでいる人はこのサイトで「自分にあったそれらしい情報」を手にしてくれることを期待しています。

今の私が出来る行動はこんなところです。

ありがとうございました。

 

-コラム, 思考, 雑記


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

広告エリア

Sponsored Link


SNS

follow us in feedly