コラム 思考 雑記

「全員聖人の世界」と「全員自己中心の世界」の話

投稿日:2017年11月1日 更新日:

自己中心的、利己的、こうした思考が世の中の争いを生んでいる事はもはや自明の理でしょう。

「人の中に欲が無ければ争いは生まれないし、同時に発展もなかった」というような事を言う人もいますが、私はそうは思いません。

 

仮に人間が「自己犠牲の上、人類を発展させようとする生き物だったら、異常なほどの文明の発展を遂げていたはずです」

医療系の発展にすら争いも要らないのです。

 

人道的ではありませんが、「自己犠牲の精神」があれば戦争と同等、いやそれ以上の医療の発展が可能だったでしょう。

そう、今回はディストピアなお話から、理想郷について考えてみます。

 

◆全員自己中心的な世界は人類の歴史である

強盗だの殺人などは当たり前で、全員自己中心的な生活を行う。

リベラルと無法をはき違え、人は人から襲われないように武力を持って、お互いにけん制する。

当然傷つきたくないから拮抗する、非常に殺伐とした世界。

 

たった数行で分かりますね?

これが現代です。

 

そうやってヒューマニズム振りかざしていました。

しまいにゃ核を持ってけん制です。

人間ってのは仕方がないね。

 

◆全員聖人の世界などつまらない

これは仮の話。

誰もが優しく、弱者に施し、欲を自制している世界を想定してみましょう。

 

競争よりも共生を望み、人類を共に成長させることを求めている。

そんな人類はどうだろう?

 

『悪いと思えるような事は全て弾圧されて、善いことだけが国に残る。』

悪い人間を罰して、罰して、罰し続けて、そうして聖人だけの国を作った。

 

潔癖ともいえるような道徳的で優しい人間しかいない、犯罪もない。

しかし自由は淘汰され、完全に統治された世界だった。

 

誰の権利も傷つけないということは自由ではなくなるということ。

「あなたの発言で傷つく人間がいるから!禁止だ!」と言論の自由も表現の自由もない。

清潔で親切で完璧な光の国。

技術は発達し、より国民を管理がしやすくなっていく。

そういう世界を楽園だと思えるだろうか?

 

これだけは言える、絶対つまらない。

 

◆自由も欲しい!だが罪を減らしたい!

自由も欲しい?

罪も追いたくないし、減らしたい?

 

今の世の中ではそんなわがまま通らないんですよ。

誰かの気分を害したらアウトなんだから、自由なんてあるはずないじゃない。

この世に自由なんてものはない。

 

だからと言って自分が罪を被るのも、被害を被るのもごめんだ。

そのうえ自由もないときたものだから、いよいよもってわけが分からない。

 

正直、どうしていいかわからない。

そんな世の中に生命をもってほっぽり出されたんですよ。私たち。

 

だから大いに迷い、悩み明かしましょうよ。

どうすればいいかなんて、誰にも分からないんだから。

 

◆まとめ

選挙見てて、どこもかしこもディストピアまがいなことを公約に掲げているのでこの駄文を書いた。

それ以上でも以下でもない。

 

勘違いしないように補足。

ディストピアめいたことを人に求めるのは異常だと思います。

「規則正しく、親切に、狂信的な平和」そんなものはない。

それでも、自己中心的な人間が減れば問題が起こりにくい社会になると思います。

-コラム, 思考, 雑記


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

広告エリア

Sponsored Link


SNS

follow us in feedly